Warrior's Story

私とサプリメント ~皆川賢太郎(アルペンスキー)第3回

私とサプリメント ~皆川賢太郎(アルペンスキー)第3回

ブレーキを極力かけず、鋭いターンをこなしながら雪面を滑り下りるアルペンスキー・スラローム。その競技性ゆえ、選手にとってケガはつきものだ。

アルペンスキーヤー、皆川賢太郎。選手生活の後半は、決して良好とはいえぬ膝のコンディションを気にしながらの毎日だった。

集大成となる2013-2014年シーズンを迎えるにあたり、意欲的にトレーニングに取り組んだ。

「ここ数年は膝のケガの影響で、クイック系のトレーニングメニューがほとんどこなせなかった。でもこのシーズンに向けてのトレーニングはしっかりやれた。欲を言えばもっとガンガン追い込んで、アメフト選手みたいな体で滑れたら最高でしたが...。ケガを抱えた状態では、完全に理想通りの体を作るのは難しかったですね」

ケガとつき合いながら見すえた、選手生活の最終章だった。滑りについても大きなジレンマがあった。

「膝は、多く滑ると曲がらなくなってしまう。それを治しながら毎日の練習を続けていかねばならないので、どうしても滑る本数は限られてくる。スキーに集中できるコンディショニングを作るのは、本当に難しかった。

本当は、もっとたくさん滑って体をいじめたい。でも若いころみたいに追い込むと、そこからの代償もそれだけ大きかった。その結果コンディションを崩すとモチベーションが下がり、パフォーマンスも落ちる。そうやって悪い方向に連鎖していくので、いいところで止め、頑張りすぎないようセーブする必要がありました。

だから1本1本の滑りに集中し、課題をこなす。そして食事とサプリメントをしっかり摂り、いいコンディションを作る。それを最も重要視しました」

そもそも、過酷極まりないこの競技を36歳になっても続けられたこと自体、常識を超えたことだった。その背景には、適切な栄養摂取があった。

「まさしく、サプリメントのおかげです。この年になると、大事なのは安定したコンディション。常に高い平均点を保つことが重要です。そのためにサプリメントは、絶対に欠かせないものでした」

目指している大きな目標があったからこそ、スキーへの情熱が失われることはなかった。自らの集大成となる滑りを見せるため、今シーズンのワールドカップ全5戦での完全燃焼を目指した。

1386日ぶりに復帰した初戦(フィンランド)。「帰ってきた」という万感の思いでスタートに立つも、目指していた「攻める滑り」ができず1本目68位に終わる。そこから、残り4戦でのスタート順を上げるため、下部ツアーに参戦。練習、試合、移動を繰り返している割には、体調はとてもよかった。

「サプリメントを含め、栄養をしっかり摂れていたからです。質の高い練習をして、質の高い栄養を摂る。そうやって少しの貯金を作り、体と相談しながら、また質のいい練習と栄養摂取を重ねる。そうやって少しずつ少しずつ貯金を増やしていくしかなかった」

アメリカ、中国で下部ツアーに参戦し、中国では優勝を果たす。そして迎えた第2戦(フランス)。素晴らしいコースコンディションの中、序盤から攻めに攻めた。惜しくも最後に途中棄権となったものの、自らの滑りに大きな手応えを感じ取ることができた。

続く第3戦(イタリア)は、スタート順の悪さもあり、手も足も出ず途中棄権。そして第4戦を控えた練習で転倒。足首を損傷して第4戦を欠場し、続く第5戦(スイス)にすべての望みを託すことになった。

懸命のリハビリを経て迎えた第5戦。雪質が柔らかく、レースは荒れた。最後の可能性を信じて戦いに挑むも、急斜面で穴に飛ばされ途中棄権。

復帰したワールドカップでは、4戦に出場して1度も2回目に進めなかった。しかし、持ち前のアグレッシブな滑りを最後まで貫くことはできた。もちろん、悔いがないわけではない。しかし、36歳まで挑戦できたことは、素直にうれしかった。

そして3月。ブログにて、アルペンスキーヤーとしての引退を発表。

「うれしさや納得のいく時間より、苦しみや悩む時間の方が多かった競技人生でした。しかし、それが人生そのものなんだと気づけたのは競技を諦めずに36歳まで続けたからだと思います。競技で培った多くの経験は、いつしかスキー選手ではなく等身大の私自身を成長させてくれたと感じています。なぜならば、成績という素晴らしい瞬間が自分に立場を与え、苦しみや諦めない時間が皆川賢太郎を育てたからです。

次のステージは、私個人の夢ではなく、応援して下さった皆様やスポンサー、そしてウィンタースポーツを楽しんでもらえるすべての皆様のために歩んでいきたいと思います」

ブログでこう宣言し、今後もウインタースポーツの発展に向け挑戦し続けることを約束してくれた皆川賢太郎。小柄な体で世界と戦い続けた「アルペンスキーの革命児」。新たなステージへ。

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