私のマッスルミート&マッスルメイト

【Vol.8】株式会社ドーム 営業企画第一部 重松 毅

【Vol.8】株式会社ドーム 営業企画第一部 重松 毅

~マッスルミート~

マッスルミート...筋肉の萌芽。それは、人が成長する過程において、自らの筋肉と初めて出会った瞬間を指す。 本コラムのオファーをいただいて、自分のマッスルミートはいつだったかと、あれこれ記憶をたどってみた。

私は都市圏人口世界ナンバーワンの大都市・東京で生まれ育った。あふれる人の中で、何とか居場所を作ろうと、ずっともがき続けてきた。

「男社会で自分の居場所を作るには、まず体力!」

それが、私の脳裏に刻まれた教訓である。

小学校から高校まで野球をやった。中学~高校は一貫学校で、新宿区の男子校。周りはやんちゃ者だらけ、誘惑だらけ。野球から抜け出し、街へ出て羽目を外したいと思ったこともあったが「自分はそれをしたら、ダメになる」という気持ちがストッパーとなり、最後まで部活動を続けた。

しかし、高校で肩を壊し、それ以降、試合に出る事はなかった。

大学でスポーツをするかは迷ったが、大学から始められる競技を探し、ヨット部に入った。

「ヨットなら中学、高校の部活動もないだろうし、みんな初心者でのスタートだろう」

勝手にそう決めつけていたが、何事もそんなに甘くない。私の入った大学は強豪で、部員の8割は体育推薦で入ってきた経験者。みんなが全国区の成績を収め、中には世界大会の経験がある選手もいた。

学生のヨット競技は、二人乗りで行われる。一人がスキッパー(ドライバー)で、もう一人がクルー(ナビゲーター)だ。体育推薦以外の部員は基本的にクルーに任命され、経験豊富なスキッパーと組む。達人と組んでいるおかげで試合は連戦連勝。それなりに得意になっていたが、やがて素直に喜べなくなってきた。

「これは自分の力ではない。ただ相方の力に乗っかっているだけだ。小さいころから水に慣れ親しんできた体育推薦者に、感覚や技術で追いつくことはまず無理。でも体力だけなら、戦えるはず」

急にそんな気持ちが芽生え、オフ期に人知れず肉体改造を行った。しかし、やり方を完全に間違えていた。

頭に描いたのは、いわゆる「キレのある」身体。今思えばパワーをつけるトレーニングが先決だった気がするが、ある日の練習で先輩に「動きが鈍い」と怒鳴られたことが忘れられず、身体を絞りこむ方向に目が行った。

始めは走り込みをしていたがあまり変化を感じなかったので、食事制限も始めた。すると間もなく体重が落ち始め、身体が明らかに軽くなった。しかしあるところで、体重が減らなくなる。そこで摂取カロリーをさらに落とすと、再び体重が落ち始める。

これは、その後、筋肉がつき始めてからも感じたことだが、身体が自分の意図する方向に変化するのは快感で、病みつきになるところがある。そのうちに当初の目的から離れ、体重が落ちること自体が面白くなり、どんどん摂取カロリーを落としていく。もともとスポーツ選手としては体重がある方でもなかったのに、元の体重からかれこれ10kg近くも減量してしまった。そして、体脂肪率は5~6%にまでなっていた。

オフ明けの最初の練習は、まだ冬場の寒い時期。自分の身体はすでに体温コントロールもままならないところまで来ていた。そのため、沖へ出た瞬間に身体が固まり、震えが止まらなくなった。陸に戻り、凍えながらお湯に浸かっていると、自分の身体を見た先輩が驚いた表情で「お前、痩せすぎじゃないか」と声をかけてきた。その通りだった。

さすがに危機感を持ち始めて食事を摂るが、胃まで小さくなってしまっているせいか吸収できず、腹を壊すか吐いてしまう。そのまま身体の状態は悪化し、ついには部活も休むこととなる。

回復には1年近くを要した。最終的には部活に戻ったが、その間のブランクは大きく、体調も万全まで戻せなかった。そのため野球と同じく、最後の試合場に私の居場所はなかった。

大学の部活が終わり、途方に暮れていたころ。高校の野球部のチームメイトT君から連絡があり、数年ぶりに再会。T君はもともと控えめな性格で、中学時代はあまり目立っていなかった。しかし高校になると、ユニフォームの下にすさまじい筋肉が隠されていることが発覚する。それは監督、コーチにも認知され、いつの間にか四番に抜擢された。彼は当時から筋肉に詳しく、いろいろとアドバイスもしてくれた。しかし当時の私は、適当な理由をつけて実行しなかった。

再会したT君にヨット部での苦い経験を打ち明けると、彼はこう言った。

「とりあえず、一緒に身体鍛えようぜ」

競技生活はすでに終わっていた。しかし「やりきれない過去の記憶に何かしらのケジメをつけたい」という思いがあふれ出し、一緒にトレーニングを始めた。

とりあえず、目標はベンチプレス100kg。高校も大学も50kgを持ち上げるのがやっとだったが、もしあの時、私の身体に倍の力が備わっていたら、野球でもヨットでも活躍できたかもしれない。そんな思いが原動力になった。幸い、大学の単位はほぼ取り終え、時間は十分にある。そして隣には、最良のトレーニングパートナー。私の身体はこれまでが嘘のように、急速な進化を始めた。

トレーニングが楽しかった。時には自分でも「別人ではないか」と疑うほどの力があふれて来る。そして、トレーニング後のプロテインは、どんな料理よりも素晴らしいごちそうだった。

1年はかかるだろうと思っていた目標のベンチプレス100kgは、半年も経たないうちに達成した。バーベルの重量が上がるにつれ、私とT君のトレーニングはジム内で注目を集めるようになった。それがまたうれしくて、ここぞとばかりに得意顔で毎日プレートを付け足していた。

そんなある日...いつものようにT君とベンチプレスのセットを組んでいると、ある男性に声をかけられる。

「一緒にやらせてもらって、いいですか」

腰の低い小柄な男性だった。年齢は僕らよりも10~15歳ぐらい上だったと思う。

「どうぞ、どうぞ」

そう返答しながらも、内心「面倒だな...」と思い、プレートの付け替えが気になった。

「僕らと同じ重量はとても扱えないだろう...交代するたびにバーベルを付けて外して、か...手間がかかるな」

調子に乗っていた僕は、上から目線になっていた。

「何kgからいきますか?」

その男性に話しかけると、思いもよらない重量が聞こえた。

「すいません。じゃあ90kgで」

僕もT君も、アップは60kgからのスタートである。「大丈夫か...」と思った瞬間、スタートポジションに入るその男性の所作に目を奪われた。スポーツに限らずだが、何かに熟練した人の動きは滑らかで美しい。格闘漫画でよくある「こやつ、できるな」というシーンに近かった気がする。

「この人、きっとすごいぞ...」

予感は的中した。結局その男性はMAX150kgを持ち上げ、その後は30kg~40kgのプレートを背負い、何十回も懸垂をこなした。そしてほとんど言葉も発さず、さっそうとジムを去っていった。

「カッコいいな...」

私はその姿にしびれた。再度、その男性にジムで会った時、思い切ってどんなトレーニングをしてきたのかをたずねた。そして彼が「パワーリフティング」の競技者であることを知る。

「パワーリフティング」とは、ベンチプレス、スクワット、デットリフトの3種目の総合重量を競うスポーツだ。しかし同じ重量挙げなら、オリンピック競技でもあるウェイトリフティングを思い浮かべる人がほとんど。長年スポーツをやってきた人でも知らない人の方が多いと思う(※ちなみに、パラリンピック種目には指定されている)。もともと私はおたく気質。あまり知られていないことにも魅力を感じ、都内でも少ない専門のジムを見つけ、翌月にはその門を叩いた。

訪れたそのジムは「化け物」の集まりだった。楽に100kg以上の重量を扱う小柄な女性やご年配。私と同階級の男性は、目の前で200kg以上を挙上した。

パワーリフティングを始めるまで「パワー=筋肉のデカさ」だと思っていた。それはそれで間違いないが、神経系の発達というもう一つの成長の道があることも知った。これは、「火事場の馬鹿力」メカニズムといえばわかりやすいだろうか。基本、脱力状態でも毎日を暮らせる人間の身体には普段、制御がかかっており、眠っている神経回路が無数にある。トレーニング(または、火事場で命の危険にさらされること)により、これらは呼び覚まされる。そして本来のポテンシャルが発揮され、同じ筋肉量でも、より強い出力を産み出せるのだ。

これを知った私は、日々のトレーニングがまるで人間の身体に秘められた可能性を探る実験のように思え、これまで以上に鍛えることにワクワクした。1年トレーニングに没頭した後、初めて出場したパワーリフティング大会。私は新人賞を獲得した。

小規模な大会であったので、受賞の際もなるべくクールに振る舞うように努めていたが、個人としては初めて得た勲章で、内心はうれしくてたまらなかった。

「身体は嘘をつかない」

トレーニングパートナーT君の口癖だが「自分の身体は、本当はこんなに素直だったのだ」と、その時初めて思えた気がした。この瞬間が、私の「マッスルミート」なのかもしれない。

トロフィー片手の帰り道、急に感慨深くなり、小学校~大学時代の思い出が走馬灯のように頭を駆け巡った。肩を壊した野球生活、身体全部を壊したヨット生活...。

「当時の自分がもし今の知識、経験をもちあわせていたら、もっと違った競技生活を送れていたのではないか」

急にそんな思いに囚われ、喜びから一転、後悔の気持ちがどっとあふれ出した。その念は、自宅で布団に潜り込んでもまとわりついた。だが、一度後ろを向いた後は前を向きたくなる。それが人間だ。

「消せない気持ちなら、力に変えよう」

あのころの自分のように、光を浴びずに燻っている人達がいっぱいいるはずだ。そんな人達に、正しい身体作りの方法を伝えたい。それがこの会社に入った理由だ。学生のころはひどく方向音痴で、いつまで経っても目的地に辿りつかない私だった。でも、運だけは持っていたらしい。私はこうして、この職場で働く機会をいただくことができた。

今はまだ、ここで頑張る人達のエナジーに圧倒されている。しかし、世界は進化していく。ドームはさらに輪をかけて進化していく。決して、その流れに置いていかれてはいけない。それを肝に銘じている。

そういえば、最近トレーニングを少しさぼりがちだ。圧倒されるばかりでなく、そろそろ圧倒する側に立とう。明日から、いや今日から。また気合いを込めて頑張るつもりだ。

~マッスルメイト~

筋肉の萌芽がその人の一生を決定づけるとするならば、その生涯をともに歩む「マッスルメイト」の存在は欠かせない。

私にとってのマッスルメイトは「ホエイ100」。

T君とトレーニングを始めたころ、痩せ細った身体に筋肉をつけるためには、まず何よりもたんぱく質の「量」が必要だった。量を摂るには、なるべくコストは抑えたいし、まずいものは飲みたくない。

海外品が安くてそれなりにおいしかったので、直輸入サイトを介して、購入していたのだが、ある日猛烈な下痢に襲われた。問い合わせをしようと購入したサイトを開いてみるが、メーカーのパッケージは当たり前だがすべて英語。例え電話をしたところで、話せやしない。危機感を覚えて、国内の良品を探し求めた時に出合ったのが「ホエイ100」だった。

「高くて、まずい」

ホエイ100

それまで、私が国産のプロテインに持っていたイメージだ。しかし、ホエイ100は値段が海外品とほぼ変わらないことに驚き、購入。飲んでみると、これまた驚くほどにうまい。T君に教えられ、「ホエイの吸収速度を最大限に生かすには、水で摂取することが重要」という知識を備えていた私だが、他の国内品は、ほとんどが牛乳やジュースで飲むことを想定して作られていた。しかし、ホエイ100は違う。「このメーカー、一歩進んでいるな」と思った(※相当偉そうなコメントだが、時効の成立を期待...)。

気になってDNSのサイトを開いてみると、栄養やトレーニングの最新情報があふれていて、しばらく目が釘付けになった。「ホエイ100」は、ドームとの出合いのきっかけでもあったのだ。

入社して初めて与えられた「試飲会」の仕事で主役になったのも「ホエイ100」。味見と称して、毎日何杯も飲み干していたことを、この場を借りてお詫び申し上げます(笑)。

6月にはリニューアルをして、溶けや味がさらに進化し、含有量もアップした。まだプロテインを飲んだことがない人や、摂ってみたが継続できなかった方は、ぜひ一度手に取ってみてほしい。

重松 毅

重松 毅
株式会社ドーム 営業企画第一部
法政大学 体育会ヨット部出身
特技
ベンチプレス(MAX160kg)、デットリフト(MAX220kg)

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