世界では、トップの選手達が続々と9秒台を記録し続ける男子100m走。だが日本には、10秒の壁を破る選手は今も現れない。さらには、世界の選手達が大型化する一方、日本人スプリンターは小型化。今や、世界の潮流から取り残されつつある。これからの日本人スプリンターは、どうあるべきなのか。
まず、以下のデータを見てほしい。
※世界陸連(IAAF)記録参照
「世界最速の男」といえば、ジャマイカのウサイン・ボルト選手。北京、ロンドンとオリンピック2大会で100m、200mの二冠を達成。人類史上、最も速いスプリンターが彼であることに、異論を唱える者はいないだろう。続く2位がアメリカのタイソン・ゲイ選手と、ボルトと同じジャマイカのヨハン・ブレーク選手。そして4位がジャマイカのアサファ・パウエル選手、5位がネスター・カーター選手である。
つまり短距離走は今、ジャマイカとアメリカの二大強国による覇権争いのまっただ中にあり、トップを争っているのは、ボルト選手を始めとする黒人スプリンター達だ。
では、日本人選手の記録はどうなっているのか。
男子100m走を例に取れば、日本人選手はいまだに10秒の壁を破ることができずにいる。しかも3位までの中、現役は桐生祥秀選手のみ。この現状を、どうとらえるべきか。
「黒人選手は持って生まれた身体能力が高く、日本人選手は低い。だから日本人は、短距離走で世界トップクラスの記録を出すことは人種的に難しい」
よくある論調である。だが、本当にそうだろうか。日本人選手が感じている世界との壁を「人種の差」という何とも曖昧なロジックで説明してしまっていいのだろうか。
原因は、別にあるのではないか。下のデータを見てほしい。ソウル五輪とロンドン五輪で、ジャマイカ、アメリカ、日本の男子400mリレー出場選手の平均身長と体重を比較したものである。
【1988年ソウル五輪・男子400mリレー】![]() |
【2012年ロンドン五輪・男子400mリレー】![]() |
確かに、身体が大きい=足が速い、とは言い切れない。世界記録6位の9秒79を記録したモーリス・グリーン選手(アメリカ)は175cm 79kg、8位の9秒80を記録したスティーブ・マリングス選手(ジャマイカ)は176cm 67kgである。他にもオルソジ・ファスバ選手(ナイジェリア・165cm70kg)、マイク・ロジャース選手(アメリカ・175cm76kg)、アト・ボルトン選手(トリニダード・トバゴ・175cm72kg)など、日本人と体格的に変わらないトップクラスの選手は何人もいる。
だが、この小型化というトレンドは、本当にベストのトレーニングと栄養摂取を行った結果なのだろうか。そこで、元短距離日本代表選手、200mのジュニア日本記録保持者(20.29)で現在はドームの営業本部スポーツマーケティング部に籍を置く大前祐介、400mハードルの現役選手で同じくスポーツマーケティング部に所属する前野景の二人に、日本の陸上界の現状について語ってもらった。
―― 短距離走は、さまざまな体力要素が必要な競技だと思います。まず、スプリンターに必要な身体能力とは何でしょうか。そして、どのようなトレーニングに取り組めば、タイムを上げることができるのでしょう。
前野 短距離は種目に限らず、スピード練習がタイムの向上に最もつながります。スピード練習とは簡単に言えば、100%に近い速さで行う全力疾走のトレーニング。それをさまざまな距離で行いますが、僕はそれが一番有効だと考えています。
大前 身体能力として大事なのが、まず最大出力を上げること。そして、後半での失速を少なくすることです。これを反復練習で磨いていくイメージですね。また、短距離選手はベーシックな瞬発力と筋持久力の他、強い出力に耐えうる身体を作ることも大切。それもあって、世界トップレベルのスプリンターはみんな身体がすごく大きい。まるでアメリカンフットボール選手のようながっちりした体型の選手も、当たり前のようにいます。
前野 じゃあ、なぜ日本人のスプリンターは細いのか。おそらく「筋肉をつけて身体を大きくすると、スピードが落ちてしまう」と、明らかな誤解をしている選手がいまだに多い気がします。決してそうではないことを、ボルト選手が証明しているのですが...。
大前 日本人特有の考え方があると思いますね。「日本人は体格が小さい」という固定観念にとらわれ、パワーをつけることを放棄して、技術ばかりを追い求めようとしている。はっきり言いますが逃げ腰なんです。そもそも、日本にはウエイトトレーニングをする文化がない。身体作りをしなきゃ、と口では言っても、きちんと指導できる人材もおらず、習う機会もない。だから結局、我流になり、その筋力トレーニングが正しいかどうかもわからない。その結果上手くいかず、大学生や社会人になっても、腕立て伏せや腹筋といった自重負荷の筋力トレーニング程度しかしない、となる。
前野 身体作りをもっと真剣に考えない限り、9秒台そして世界トップに食い込むのは難しい気がしますね。
大前 僕はウエイトトレーニングを、高校時代からずっとやっていたんです。高校1年生のころは50kg。そこからトレーニングを頑張ったら、高校3年で70kgになった。そして記録もどんどん伸び、ケガもまったくしませんでした。でも、周りの人はみんなそれに否定的。「なんのため、そんなに身体を大きくするの?」「筋肉をつけてどうするの?」と、いつも言われていました。それである時、自分も「これ以上身体を大きくするのはやめよう」と考え、体重を増やさないよう、常に身体を絞るようにしました。そこが自分を見誤った部分でした。絞った身体が自分の出力の大きさに耐えられなくなり、故障が増えてしまって...。もし当時、正しいトレーニングと栄養面に関する取組みができていたら、今まだ現役ですよ(笑)。
前野 僕の大学時代も、ウエイトトレーニングをする人はいましたが、しない人はまったくしませんでした。
大前 本来、試合期にもウエイトトレーニングはすべきです。でも、試合当日に筋肉痛が残ることが怖くてやらないような選手が今もいる。ウエイトトレーニングを継続してやっていれば、きつくても筋肉痛なんて残らなくなるのに...。
―― スプリンターにとって大切なウエイトトレーニングのメニューは、どのようなものになるのでしょう。
前野 僕が今、ドームアスリートハウスで取り組んでいるウエイトトレーニングは、ベンチプレス、スクワット、デッドリフトやプルダウンなど、非常にオーソドックスなメニューですよ。
大前 やはり、身体の中心に近い部分の筋肉を鍛えることが大事だと思います。コアスタビリティトレーニングも大切だし、他にも肩甲骨や股関節まわりを鍛えることも大事。走るというのは振り子運動なので、おもりが末端に近い箇所にあるほど振りにくいものです。だから、身体の末端におもりを付ける必要はあまりない。外国人選手は身体の中心をしっかり鍛えていて、末端は細いけど、そこからお尻にかけて急激に大きくなる。例えるならばサラブレッドの脚です。それに対して、日本人は末端も中心も細い。
―― 栄養摂取についてはどうでしょう。例えばトレーニング後にプロテインをきちんと摂る、とか...。
前野 そこも分かれますね。毎日摂っている人と、まったく摂ってない人に。
大前 「プロテインを飲むと、身体が大きくなり、太る」。まだまだ、そんなレベルの意識なんです。体重管理ばかりを考えて、オーバーしているからご飯を抜こうとか、そんなのばかり。意識の仕方が間違っているんです。何を隠そう、昔の自分がそうでしたから。そうじゃなくて、スプリンターとしてのベースとなる身体をしっかり作らないとダメなんですよ。本来、フィジカルという土台の上にスキル、さらにその上に戦術・戦略というピラミッドがあるべき。今の日本の選手は、フィジカルというベース部分が小さすぎる。要は、底辺が細いピラミッドですよね。土台がしっかりしていないから、パタッと倒れちゃう(笑)。
前野 僕はプロテインをきちんと摂っていました。きつい練習をした日ほど、しっかり飲んでいましたね。疲れの回復具合や、ケガの治り具合がぜんぜん違うんですよ。
―― 身体の使い方に関する研究は進んでいると聞きますが、実際どうなのでしょう。
大前 バイオメカニクス的アプローチはすごく行われています。動作を解析して、接地時間が100分の何秒、など細かいデータを出している。ただしその影響で、ベースとなる身体の強さよりも小手先の技術を追い求めてしまう傾向があると思います。
前野 身体では外国人にかなわないから、せめて技術で追い抜かそう、という考えですよね。
大前 研究や戦略、身体の使いこなし方のノウハウでいえば、日本は世界的にも高いレベルにあります。実際に自分も代表選手として活動していたことがあるからよく分かります。外国人の身体特性もしっかりと研究しているのですが、それも「外国人がこういう動作をできるのはこういう身体組成だから」と、勝てない理由を見つけるだけで終わっている印象があります。もちろんそういった研究は素晴らしいことだと思いますし、日本の強味であることはよくわかっています。それに、外国人選手も昔ほど技術に無頓着ではなくなってきています。このままだと2020年には、日本人がぶっちぎりでおいていかれることが目に見えています。
だからこそ、そういった研究と並行して、しっかりと正しい筋力トレーニングを行ってほしいですね。
前野 日本人の利点は、細やかさ。正しく効率的なフォームや身体の使い方を細やかに追求する繊細さは、決して失ってはいけないものだと思います。だからこそ、そこにパワーが加われば、日本のスプリンターはまだまだ伸びる。
大前 僕はずっと思っているのですが、短距離走ほどシンプルに、人間の身体能力を表す競技はない。例えば小学校時代、足が速かったらカッコいいし、女の子にモテるし、クラスのヒーローになれる。誰でも一度は、足が速くなりたいと思ったことがあるはず。短距離走はスポーツの原点であり、人間が能力を発揮する上で、頂点にあるものと思っています。だから日本のスプリンターにはしっかりと知識をつけて、正しい筋力トレーニングと栄養摂取に取り組んでほしい。日本人にとって、最も伸びしろがある部分はそこですから。
日本のスプリンターは繊細な技術やしなやかな身のこなしなど、社会環境から生まれる利点を生かすためにも、ベースとなる強靭なフィジカルを身につけるべきだ。そしてその結果、世界トップクラスの短距離選手が日本に誕生する...そんな瞬間を想像すると、胸の高鳴りを禁じ得ない。だからこそ、言いたい。
「日本人は身体能力が低い」だと? 笑わせるな!
この国に生まれたことを、できない言い訳にするな!
日本人は絶対に、もっともっとできる。
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大前 祐介 1982年生まれ。本郷高校から早稲田大学へ進学。 在学中はユニバーシアード金メダル(400mリレー)、関東インカレ3冠(100m、200m、400mリレー)。大学卒業後、富士通株式会社陸上部に所属。アジア大会(400mリレー)で銀メダルを獲得。 その後、株式会社ドーム 陸上プロモーション担当になるとともに、陸上部GMとして活動。 自己ベスト100m10秒33、200m20秒29(現日本ジュニア記録) 現役時代はベンチプレス130kg、ハイクリーン130kgを挙上。 |
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前野 景 1992年生まれ。東京農業大学第三高等学校から法政大学へ進学。 在学中は日本学生陸上競技対抗選手権大会 準優勝。 大学卒業後、株式会社ドーム 陸上プロモーション担当になるとともに、陸上部へ入部。 自己ベスト400mH 50秒27 |
Text:
前田成彦
DESIRE TO EVOLUTION編集長(株式会社ドーム コンテンツ企画部所属)。学生~社会人にてアメリカンフットボールを経験。趣味であるブラジリアン柔術の競技力向上、そして学生時代のベンチプレスMAX超えを目標に奮闘するも、誘惑に負け続ける日々を送る。お気に入りのマッスルメイトはホエイSP。